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タイトル 日 時
2007年12月12日(HPより)
岐阜県現代陶芸美術館での嶺男回顧展会期中には、渡部誠一副館長と、私・美喜が対談をさせて戴くという機会を得まして、今まで言いたくてもなかなか言えなかったことを全てとは言わないまでもある程度、発表することができました。 また、中学校高校の同級生だった女優の竹下景子さんが会場においで下さり、渡部誠一副館長の明快かつ深い洞察力ある解説でお出迎え戴き、私も大変勉強になりました。 ...続きを見る

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2011/09/11 00:22
2007年7月14日(HPより)
2007年7月14日 岐阜県現代陶芸美術館での展覧会は、昨日、無事始まりました。 開会式で榎本館長の仰った 「20世紀後半の陶芸界には2人しか天才がいません。岡部嶺男と加茂田章二です。」 とのお言葉を天国にいる父もきっと聞いていてくれたことと思います。 岐阜県現代陶芸美術館では、岐阜だけの特別展示として 「捧 小山冨士夫先生 三州猿投住 加藤嶺男 昭和三十五年十月一日」 と釘彫りされた瓶子が展示されています。箱書きには「昭和銘瓶」とあり、この瓶子の回顧展出品を強く望んでいた母が、大... ...続きを見る

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2011/09/11 00:21
2007年7月13日(HPより)
今日もまた岐阜県現代陶芸美術館に行って、最終段階に入った陳列の様子を見せて戴きました。作品の場所を少し変えてみたり、照明のチェックをしてみたり、そんな様子を、私はただしばらくの間、見ているだけでしたが、「展覧会を作り上げる」工程を垣間見ることができて、心楽しい半日でした。白い台に乗った作品の向こう側も白い壁、作品が宙に浮遊しているようでいて圧倒的な存在感があるという不思議な世界です。 ...続きを見る

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2011/09/11 00:20
2007年7月12日(HPより)
2007年7月12日 今日もまた岐阜県現代陶芸美術館に行って陳列の様子を見せて戴きました。陳列のしかたで見え方が異なるのを実感するのはとても楽しいことです。白い空間で、縄文の大きな作品がより大きく見えるのは新発見でした。 美術館の現代建築が山の自然に溶け込み、空の色を映す父の作品もまた自然に溶け込んでいる様を見ながら、これこそ父が望んでいたひとつの姿だと思いました。 多治見の岐阜県現代陶芸美術館の帰りは、いつも心が満た... ...続きを見る

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2011/09/11 00:19
2007年7月11日(HPより)
今日は朝から、次の展覧会会場である岐阜県現代陶芸美術館に行ってきました。 松坂屋美術館の展示ケースに貼ってあった布(経師というらしい)の色とは打って変わって、殆どが白です。白い壁が取り囲む明るい空間に、白い布が貼られた、たくさんの独立ケース。ホワイトキューブというアメリカの美術館でよく取り入れられている展示手法なのだそうです。 昨夜は、父の地元での展覧会の終了という達成感と共に一抹の寂しさをしみじみと味わっていたのに、今日はもう新たな出発の喜びに浸っています。 父が生れた愛知県瀬戸市の窯神... ...続きを見る

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2011/09/11 00:04
2007年7月10日(HPより)
松坂屋美術館での展覧会が本日、終了しました。2週間と会期が短かったものの、本当に多くの方にお出で戴けたと聞き、嬉しさひとしおです。 終了後の撤収を始めた館内で、館の方とお話しました。 「一人の人間が、志野・黄瀬戸・青瓷などの一つのジャンルだけ極めることもなかなか難しいのに、これだけ多くのジャンルで、それぞれをたった一人で極めるということは普通ではあり得ない・・・。本当に凄いことです。」 「これだけの作品を生み出すというのはもの凄いエネルギーですよね。これだけでなく、ほかにもたくさんの作品が... ...続きを見る

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2011/09/11 00:02
2007年7月5日(HPより)
ピンクとブルー 松坂屋美術館の青瓷の作品のまわりは、ピンクがかった、というより、淡いピンクの上品な色合いの布で覆われています。 担当の方が今回の展覧会の準備で一番心を砕いたのがこの布の色であったということは前述した通りです。 迷いに迷ってピンクに決められたというお話を聞いて思い出したことがあります。 1969年(昭和44)の春、青瓷の大砧一対を皇居新宮殿正殿梅の間にお納めした時に、「皇后陛下の御謁見室である梅の間はピンクを基調としたお部屋なので、そこに置くのは青い青瓷がふさわしい」という... ...続きを見る

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2011/09/10 23:58
2007年6月29日(HPより)
2007年6月29日 今日は松坂屋美術館での展覧会の3日目です。 初日から本当の多くの方々が駆けつけて下さり、一点一点の作品をじっくりご覧になっています。 今回の展覧会では、新宮殿造営時に宮内庁の依頼で皇后陛下の御謁見室である正殿梅の間にお納めした一対の青瓷の大砧の姉妹作が、やはり対で、つまり2点展示されています。ご覧戴けばひと目で分かる大きな砧です。 今日はなるべく早く、少なくとも午前中に会場に行くつもりです。 父が作品にこめた「力強く生きろ」というメッセージを一人でも多くの方々に受... ...続きを見る

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2011/09/10 23:56
2007年6月26日(HPより)
明日から始まる名古屋の松坂屋美術館での父の展覧会の陳列を見に行って来ました。 東京での展覧会とはまた違った角度から作品を見られる大変よい陳列だと思いました。 美術館担当者が一番頭を悩ませ、心を砕いたのは「陳列台の色」だったのだそうです。 まず、縄文の作品群が渋く紅い布の上で、その持てる力を遺憾なく発揮しています。そして、黄色の織物の上に並んだ織部や、志野の茶碗や水指の優しさと心地よさ。 殆ど黒で統一したケースに並んだ天目の作品群の凛とした煌き。 少しピンクの混じったかと思われるクリーム... ...続きを見る

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2011/09/10 23:54
2007年6月1日(HPより)
東京国立近代美術館工芸館での、父・嶺男の展覧会は5月20日、無事終了しました。 お運び下さいました皆様本当にありがとうございました。 6月27日からは、いよいよ父の地元、愛知県での展覧会が始まります。 前回の回顧展から25年余り、実に四半世紀の時が経ってしまいました。 どうして、こんなにも長い間、世間から隠れていたのかと何人もの方から質問を受けました。 ひとことでは、語り尽くせないものがあります。 ただ、ここでこれだけはどうしても言いたい・・・父の人生は度重なる困難に見舞われました。... ...続きを見る

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2011/09/10 23:50
東京国立近代美術館回顧展にて(HPより)
名古屋の中学・高校で同級生だった女優の竹下景子さんを含む数人の同窓生と一緒に父の展覧会を観に行きました。懐かしい顔を見ると、ついつい、複雑な思いが溢れてきて、私が小さい頃から抱えてきた「父の無念を晴らしたい」という思いを切々と語ってしまいました。 ...続きを見る

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2011/09/10 17:54
柘榴のスケッチ
戦前の桃山風、あるいは、古瀬戸風の嶺男作には、文様を描いたものが多数あります。 戦争からの復員後になると、その数はずっと減るものの、文様を描いた戦後作も残されています。 その中のひとつに、「柘榴の皿」があります。 当時の日記に「柘榴を注文しておいて買った」と記されています。 「作品には絵を描かない。描くのは文様だ」と言っていた父は一方で大変絵を描くのが得意でした。柘榴をスケッチしてそれを抽象的な文様として作品の上に表現した過程が分かり興味深く思います。 「草花文壷」の元になったスケッチ... ...続きを見る

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2011/09/09 09:31
回顧展
父の回顧展は、2007年に始まった回顧展の前に、2回開催されています。 1回めは、1971年(昭和46)東京日本橋高島屋で開催されました。当時、現存陶芸作家で回顧展を開催した人はほかに例がなかったということです。 2回目は、1981年(昭和56)、日本経済新聞主催で、東京日本橋高島屋と名古屋松坂屋で連続して開催されました。た。2007年は、3回目で、没後初ということになります。 ...続きを見る

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2011/09/09 02:30
鼠志野
父は第2次大戦から復員してすぐ、愛知県西加茂郡猿投町の平戸橋という所で仕事を再開しました。復員当時は村だったのかも知れません。現在は豊田市になっています。 ...続きを見る

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2011/09/09 02:26
灰釉瓶子
嶺男は、1960年(昭和35)に起きた「永仁の壷事件」での、自らの発言の責任を取って、事件以降、30数点の瓶子を制作しました。戦争に行く前、父が10代の時に制作した古瀬戸風瓶子よりさらに、現代の作家としての息吹が感じられると思います。 これら、大変力強い瓶子を見ていると、昭和30年代後半、父が制作にあたっていた時、肺結核のため、右肺が機能していない状態だったということを忘れてしまいます。 ...続きを見る

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2011/09/09 02:17
父・嶺男が自作を見る時の表情は・・・
父は亡くした長男・辰男の代わりに、次女である私が生れる時には本当は男の子を望んでいただろうと、私は勝手に思い込んでいました。 ...続きを見る

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2011/09/09 02:07
片身変わりの魅力
嶺男青瓷には、ピンクの粉紅瓷、ブルーの粉青瓷、ややグリーンがかった翠青瓷、そして、黄色がかった窯変米色瓷があります。 ところで、嶺男青瓷の中に、ブルーの部分と米色の部分がある「片身変わり」の作品があるのをご存知でしょうか。青瓷の作品では、異なる土の練りこみという手法も、釉薬のかけわけという手法も使っていません。つまり、同じ土と釉薬のひとつの作品でも、焼き方で色が異なる部分ができるということなのです。 もともと、「嶺男米色青瓷」は、灰釉の発展としてのブルーの青瓷が、窯の中の変化で米色になったも... ...続きを見る

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2011/09/08 15:36
HPリニューアルに伴って、HPの記事を順番にブログに移記します。
神の手 嶺男展  2007.2.1-2007.3.4  アートサロン光玄 「小山冨士夫先生に捧げる灰釉瓶子」をご覧になる岐阜県現代陶芸美術館学芸部長・渡部誠一氏と同館学芸員・佐野素子氏。 父は、「永仁の壷の事件」での自らの発言の責任を取って、一連の瓶子を制作しました。これはそのうちの一本です。釉薬が器胎を削って押し流すように流れています。「捧 小山冨士夫先生 三州猿投住 加藤嶺男 ... ...続きを見る

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2011/09/08 11:33
嶺男アート MINEO ART
HPとブログのタイトルを嶺男アート・MINEO ART に変更しました。 ...続きを見る

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2011/09/07 20:13

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嶺男窯変芸術 mineo youhen art  2011年9月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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